​最後に

 私は世の宗教が教えるように自殺が罪だとは思いません。ましてや自殺した者は地獄に堕ちるなど馬鹿げた戒めだと思います。

​このサイトは公的機関の自殺抑止キャンペーンでも何でもありません。完全に個人で制作したものです。目的はたったひとつ・・・・・私としては「仲間を自殺で失いたくない」この一点に尽きます。

あなたとは生涯出会うことはないかもしれませんが、それでも仲間には違いありません。私も頑張るからあなたも頑張れ、などという下らない事は言いません。

​ただ私はあなたには生きていてほしいのです。今、この瞬間、この世界で。

 

最後まで読んで下さってありがとうございます。あなたが真の安らぎを得られますように。

 

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​自殺願望があるのはまともな証

まず最初に、あなたは何もおかしくありません。むしろまともな感性を持っているからこそ、この世界では生きにくいのです。​この地上には夢遊病者のような人間があふれていますが、彼らは自殺願望など抱きませんし、「死」というものについて深く考える事すらありません。

あなたの周りに、あなたの奥底を理解してくれる人間がいない事はよく知っています。しかしそうであっても、どうかくれぐれも「自分はおかしい、まともではない」などと思わないで下さい。まともではないのはあなたではなく、今のこの世界の方なのですから。

​あなたは自由な存在である

あなたは本来は自由な存在です。「自由であること」は私たちが生まれながらに持っている権利です。本来はあなたが自由に、思いのままに生きようとする事を邪魔できる人間は存在しないはずです。あなた以外には。一方であなたは自由であるがゆえに、自分で作った牢獄に自ら囚われる事も可能です。

そしてその牢獄を自分で作った事や、自らの意志で囚われた事を忘れることすら出来ます。もちろんそれで幸せなのであれば別に構いませんが、そうでないのならあなたは真実を思い出す必要があります。あなたは自由な存在として生まれたのです。

確かにあなたの邪魔をしようと試みる人間はいるでしょう。しかしあなたが決意すれば、心のままに生きようと行動する事や、自由に選択しようとする事自体を止めることは誰にも出来ません。

​あなたが自由の中で生きていると感じる事ができれば、自殺したいとは思わなくなるかもしれません。

 

「生きる」事と「生活する」事は別物

あなたが命を生きる事と、社会や家族の一員として生活する事は決してイコールではありません。あなたがもうこんな事は耐えられないと思う時、それは根源的な「生きる」という状態そのものに対してではなく、あくまであなたをとりまく環境や人々、日々のサイクルに対して嫌気がさしているのではありませんか。

あなたはまず「命を生きる」事をやめようとする前に、今の生活を続けることをやめてみるべきです。それこそ家族や仕事を捨てて逃げ出すのもありだと思います。あなたが自殺して、周りの近しい人たちに一生消えない傷を残すよりは、全てを投げ出して憎まれた方がずっとましではありませんか。

私自身は基本的に「生きていたい」という気持ちがありませんから「生きるために働く」という発想がありません。つまり自分がやりたい事を仕事にしています。生活するためにお金が必要だから働く、というよりも、ただやりたい事をやっているだけです。私が自殺せずにこの世界で生き続けるためには、実際これしか方法がありません。ただここに辿り着くまでには不毛な土地を彷徨いもしましたし、暗い谷も通ってきました。

その過程で私を動かす力になった思いはたったひとつだけです。「こんな気持ちのままでは死ねない」それだけでした。青年期からの私の夢は「良い気分で死ぬ事」だったのです。

私は幼少期から青年期まで、ずっとやりたくもない事をやらされて生きてきました。人生の早い段階で許容ラインを超えてしまったのでょう。もはや私にはしたくない事をする力はこれっぽっちも残ってはいません。

あなたは生活するために生きる必要はありません。あなたの命を生きるために生きてもいいのです。あなた自身が「意味がある」「価値がある」または単純に「好き」「楽しい」と感じるものを追いかけてもいいのです。刷り込まれた価値観ではなく、あなたが実際に感じる事があなたにとっての真実です。それこそお金がなくても幸せな気分でいる事は出来ます。

​あなたが生活のためでなく、自分の命を生きるために生きる時、自殺したいとは思わなくなるかもしれません。

​したくない事はしなくてよい

あなたはしたくない事をする必要はありません。何のためにそんな事をしなくてはならないのでしょう?もちろん、あたが希望する目的地に辿り着くために、暗い谷を通らねばならない事はあるでしょう。ただその場合は暗い谷で自殺しようとは思わないはずです。

もちろんあなたが目的の地に辿り着ける保障はどこにもありません。しかし目的の地を目指して旅に出ること自体は誰にでも出来ます。

このためなら自分は動ける、そこに辿り着くためなら今日を生きれる、という動機や情熱があれば、たとえ旅の途中で命が燃え尽きたとしても幸せではないでしょうか。

あなたが自分の望む目的地への旅をしていれば、自殺したいとは思わなくなるかもしれません。

​あなたは逃げてもよい

​あなたは苦しい時、問題の打開策が見つからない時には逃げても構いません。あなたを愛してくれている人間は、それを責めはしません。むしろあなたの「復活」を待ってくれるでしょう。しかしあなたを愛していない人間はあなたを責めるかもしれません。

しかしあなたは、あなたを愛していない人間の言う事を気にかける必要はありませんし、傷付く必要もありません。

本当の味方は苦しい時にこそ分かるものです。もし周りに味方が一人もいないような気がする時には、あなた自身があなたの味方になってあげて下さい。

​人間には、人生には休息が必要なこともあります。

​今この瞬間を生きる

人はこの世界では物語を生きています。名前があり、生い立ちがあり、肩書きや役割があります。誰かの親、誰かの子であり、誰かの兄弟、誰かの友でもあります。しかしこれは言わば物語の設定であって、それ以上の意味はありません。

人間が物語を生きる習性を持っているのは、自らが存在し続けることに意味を見い出すために物語が必要だからです。私たちは過去や現在、未来という幻想を作り上げて、物事が連続して起こっている、という認識のもとに「存在し続ける」という要素と折り合いをつけています。

しかし過去は記憶の中に、未来は想像の中にのみ存在します。実際には存在しているのは今この瞬間だけなのです。

あなたは物語の流れや、過去と呼ばれる記憶とは全く切り離されて、今この瞬間を生きることも出来ます。例えば買ったばかりの自転車を盗まれたとしましょう。

普通は怒りを感じて当然ですが、物語ではなくその瞬間だけを生きれれば、単に「ある日、自転車がなくなった」と捉える事もできます。もちろんどう捉えようと自転車がなくなった部分は変わりませんが、少なくとも怒りを感じたり、気分が悪くなることからは開放されます。

 

もちろん物語を生きる事を楽しんでいる人は何も変える必要はありません。しかしそうでない人は、特に物語を生きる必要はありません。​そもそもあなたの名前はあなたを何も表してはいません。ただの「文字」と呼ばれる記号であり「音」と呼ばれる空気を伝わる振動に過ぎません。それが真実です。

あなたはあなたが思うあなたであり、あなたが感じるあなたです。この地上の物語とは本来は何の関係もありません。関係があると思い込んでいるだけです。あなたがつらい物語から逃れられない時、ただ「今この瞬間だけを生きる」という方法もある事を思い出して下さい。

あなたがどんな物語の中にいようと、ただ空を見上げて空気を深く吸い込むけで、良い気分になることも可能です。

​物語の流れや因果関係とは切り離されて、ただその瞬間だけを生きることができれば。

 

心の状態に答えを求める

​​あなたはあなたの周りの物質的な環境や状況をただちに変える事は出来ないかもしれませんが、あなた自身の心の状態はいつでも変える事ができます。多くの人は自分の幸せは特定の条件のもとに成り立つものだと思っています。収入がこれくらいあって、こんな家に住んで、あんな車に乗って、家族がこんな感じで・・・・等々。しかしその条件をそろえるのは不可能ではありませんが、どうしたって時間はかかります。

しかし、あなたの心の状態を変えることであれば今すぐにでも出来るはずです。あなたは周りの環境や状況とは関係なく、ただ良い気分でいればいいのです。特に理由なく、ただ良い気分でいる、という事はあなたが思っているほど難しい事ではありません。

あなたの周りの出来事や状況と、あなたの心の状態を必ずしもリンクさせる必要はありません。そもそも「出来事」自体には意味はありません。あなたが何らかの解釈をして出来事に意味を与えるまでは。

あなたは「出来事」に依存する存在ではありません。むしろ出来事の方があなたに依存しているのです。あなたは出来事に先立つ存在であり、あなたが命を与えない限り、出来事はただの現象に過ぎないのです。

​物理的な状況や周りの出来事とは関係なく、あなたは自分が良い気分でいられる事で頭を満たせば、良い気分でいられるはずです。もし常い良い気分でいる事が出来れば、それはおおむね幸せな事ではありませんか?

あなたは今自分が置かれている環境や、周りの人間の反応を気にかける必要はありません。そこには答えはありません。あなたはただ自分自身の心の状態のみを気にかけていればいいのです。

 

あなたはこの世界では感覚器を通して様々な刺激にさらされるでしょう。様々な種類の情報が神経伝達を通じてあなたの脳に「判断せよ、解釈せよ、命を与えよ」と迫ってくるでしょう。しかしあなたはそんなものとは関係なく、ただ「自分は良い気分で過ごす」と決意すれいいのです。

​あなたにはきっと出来るはずです。

 

​虚しさに捕まった時は

あなたが終わりや安らぎを求める理由が地上の物語に疲れた、という事ではなく、逆に虚しさに捕まってしまった、というのであれば、まさに私の仲間という事になります。私は13~14才の頃から虚無に捕まってしまいました。

以来ずっと非現実感というか、作り物の世界に生きている、という感覚から逃れられずにいます。まるで夢の中で、これは夢だと気が付いてしまったかのように。

色んな方法を試してみましたが、この感覚から逃れることは出来ませんでした。しかし今は全てを受け入れています。自分は幻想の世界で物語を生きていると。

今は万物に意味がない事を嘆くのではなく、逆に楽しむようにしています。幻想を幻想として愛しています。もしあなたが物語の中での苦しみから逃れたくて、終わりや安らぎを求めているのであれば、私から見れば「物語をちゃんと生きている」という部分においてはうらやましく思います。

私はもはや物語の中で生きることが出来ないからです。私の中には「明日」という概念はありませんし、人生の目的もありません。ただ自分の中でのゲームをする事はあります。「ただただ存在している」という状態は平和ではありますが、一方では退屈でもあるからです。

私は幻想の世界を眺めながら、何の意味もないゲームをしているという訳です。それでも今この瞬間、良い気分でいられれば私自身はそれで充分です。

良い気分でいられるかどうかは、あなたの内なる世界の問題です。あらゆる外の世界からの刺激は、どんなものであろうと所詮は外の世界での現象です。

虚しさに捕まった時は、外の世界を完全に幻想として眺め、観察し、感じてみる事です。そうすれば虚しさから逃れることは出来なくても、気を紛らわすことは出来るはずです。「何とよく出来た幻だろう・・・」とね。 

死が「終わり」とは限らない

あなたは肉体の死によって全てが終わると思いますか?私自身は死が純粋な消滅であれば、覚める事のない永遠の眠りであってくれればよいと思います。しかし残念ながらそうはならないでしょう。根拠はありません。ただ本能的にそう感じるのです。

もし死によってあなたが完全には消滅しなかったら・・・・あなたという存在が終わらなかったら・・・・自殺する意味はないでしょう。死によって開放されないのなら、存在すること自体をやめられないのなら、今この場でそれを受け入れる方がいいかもしれません。自殺した後に受け入れるよりは。

あなたの本能はどう感じていますか?死によってあなたは救われる、全てが終わる、そう感じますか?おそらくあなたも心の奥底では知っているはずです。私たちはたとえ肉体が滅んでも、完全には消滅できない事を。残念ながら私たちは、おそらく「存在する」という決定的な要素からは逃れられないのです。

それはあなたや私にとっては恐怖以外の何ものでもありません。しかしそれが現実であれば受け入れる他はありません。残念ながら私たちは、おそらく「存在するか否か」を選ぶことは出来ません。選べるのはただ「どのように存在するか」という事だけなのです。

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